自分の歩いた後
以前、福山雅治さんがラジオで「トイレに行ったら必ず綺麗に掃除してから出る」と言っていました。
そこはラジオだからか、面白おかしく
「だって福山雅治が出た後のトイレが汚かったって言われたら嫌じゃん!」
と言っていましたが、個人的には今まで聞いたいくつかの “善い行い” の中で一番しっくりきた気がします。
後に使う人のために綺麗にしておくんだよ。
来た時よりも美しく。
物にも命が宿るから、優しく綺麗に。
どれも言いたいことはわかるのですが、自分に余裕が無い時等はあまり響かない言葉な気がします。
それが福山さんの言い分は、自分の為にやってるだけだ! と言い張っている言い訳は、とても腑に落ちるというか、継続する理由にしやすいなあと感じました。
自分の歩いたうしろが、どんどん綺麗になっていくのはとても誇らしいことだと思います。
これは物理的な “道” だけではなく、人生という意味の “道” でも同じことが言えるかもしれません。
ゴミを拾う、席を譲る、きちんとお礼を言うなど、意外とできない人も多いことを当たり前のようにする人が増えれば、それを見たうしろの人も倣って行い、良い連鎖が生まれ始めると思います。
ただ、それを始める理由は「自分が良く見られたいから」など、単純な自分勝手な理由でも良いのかもしれません。