大河は広島弁?

大河ドラマと相撲が楽しく見れるのは、大人だけ。
まつじゅんのどうする家康あたりから毎週日曜の夜を楽しみに生きていますので、最近は歳を感じております。
ところで、大河や時代劇では、「~じゃ!」などと、広島弁っぽい口調をよく耳にします。
なぜ昔の喋り方=広島弁っぽいんでしょうか?
個人的な考察
まずは予想です。
大体の場合、時代劇や大河の舞台は江戸か京都です。
(今やっている豊臣兄弟は大阪や愛知が舞台ですが、、、)
なんとなく高貴な言葉?「雅じゃ。」みたいなイメージなので、位が高い人の言葉だったのではないでしょうか?
でも、ドラマでは一般庶民もかなり広島弁に近い言葉「そんなこと言うとらんわ!」みたいな言葉を使っていて、この説は違う?またはドラマが誇張というか、史実と違う表現をしている?
そもそもいつから「~じゃ」は話されていた?
書き言葉では表現されていないのなら歴史を遡るのは難しいか、、、?
そろそろ限界です。インターネットの海へ調査へ行って参ります。
【ステップ1:室町時代】
京都のストリートで「〜じゃ」が生まれる
すべての始まりは室町時代の京都でした。
それまでの格式高い「〜である」という言葉を、当時の庶民や若者たちが早口で崩し、「〜じゃ!」というフランクな流行語(スラング)を生み出しました。当初は上流階級から「汚い言葉」と眉をひそめられる、ストリートの言葉でした。
ということで、ラップをする人はストリート文化に敬意を持って広島弁で!
【ステップ2:戦国時代】
武士による大出世
この力強い響きに目をつけたのが、織田信長や豊臣秀吉といった戦国武将たちです。
彼らが天下を動かす中で「〜じゃ!」を多用したため、この言葉は「庶民の崩し言葉」から「勢いのある最先端の男たちの言葉」へと一気に出世します。
まさにこのタイミングで、瀬戸内海の海上交通や毛利氏の交流を通じて当時の一番バズってる言葉として「〜じゃ」が広島へ輸入され、深く定着しました。
【ステップ3:江戸時代】
公的なエリート言葉への君臨
徳川幕府が開かれると、武士が支配階級となります。
「〜じゃ」は武士が公式の場で使う「格調高い公用語」とされるようになりました。
しかしここから、歴史の面白い「すれ違い」が起きます。
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本拠地(京都・大坂): 流行の発信地ゆえに言葉がさらに変化し、「〜じゃ」に飽きて「〜や」へと上書きされていく。
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地方(広島など): 京都から遠く離れていたこと、そしてすでに独自の経済圏を確立していたため、わざわざ関西の新しいカジュアルな流行(〜や)に流される必要がなかった。
ということで、例えば新しい順に 東京弁>関西弁>広島弁 ということになり、広島弁っぽい言葉は古くから広く使われており、広島辺りでは言葉が変わらず今でも使われている、ということです。
大河を見ながら、「広島以外の人は今の言い回しわかるの?」と思うようなことがちょくちょくあります。
つまり、我々にとってかなり聞きやすい。
こんなところで言語的な優位性が生まれるとは、、!
日本の歴史に触れる旅行は京都が一番ですが、日本語、話し言葉の歴史に触れる旅行に広島はいかがでしょうか?